「答えは書けるけど意味はわからない」も大事な段階
子どもの頃、歴史でいい点を取ったりすると得意になって「答えがわかるだけではダメだ、歴史のできごとの意味や理由がわかるのが大事だ」と言ったりしたものです。今思えばそれは思い上がりだったように思います。
歴史なんて別に興味ない子がやっと答えをかけるようになったときに、意味や理由がわかってないからダメだと言っても何もいいことはないし、
ましてや、何もわからずに答えを書けなくて困っている子に「答えだけわかっても意味がないから」と言ってかみ砕いて丁寧に説明なんかしても、
聞くほうはただ嫌な気持ちになって、もっとわからなくなるだけです。
困っているのだからまず答えを教えて安心させる方が先です。
「答えが書ける」という安心はその先に進む前に必ず通る、とても大事な過程だと思います。
「答えは書けるけど、意味とか理由はわからない」というのは、何もわからない状況からちゃんと進んで、ほめられるべき立派な状態です。
逆に「意味や理由はわかるけど答えはまだわからない」なんておかしな順番は無いのです。
答えだけ書けることと、意味や理由を理解することをいっぺんにやりなさいというのは、無駄にハードルを上げる非効率な考えではないかと思います。
答えがわかるというのは大事なことで、一緒に喜ぶことだと思います。
すり傷に砂がついていたら、洗うという答えが大事で、ばい菌が入るとかの理由は後で理解すればよいし、知らなくても別に困りません。
2024年07月04日 02:57