お勉強してくれてありがとう
小学校の頃。それも低学年の頃、好きな遊びの中にお店屋さんごっこがありました。
ドッジボールや鬼ごっことは別の楽しみがあったように思います。
競うのを楽しむのでなくほかの人の役に立つぞ、喜んでもらうぞという気持ちはもともとみんなが持っていると思います。
漢字や計算のプリントを返すときに先生が「配ってくれる人ー」と募ると、我先に駆けて行く子にも同じような気持ちがあったように思います。
お勉強は本来自分の楽しみのためでなく、両親や周りの人のためにするものだと思っています。
身近な数学や化学や政治に好奇心を向けるのは素晴らしいことですが、興味のままにお受験や進学につながるなんてことは無いと思います。
残念ながら現代のお受験は算数・数学以外、政治的な思惑や利権にまみれた出題ばかりで埋め尽くされ、学んだ内容がほかの人の役に立つものからかけ離れてしまったと思っています。
もとは「将来◎◎の仕事をして人の役に立ちたい」が本当の気持ちで、「◎◎はお金がたくさんもらえるからね」は冗談だったはずです。
残念ながら本当だったはずの気持ちは少しづつずらされて、いまや子どもですら多くの場面で本当の気持ちと冗談をあべこべに話すようになってしまいました。
えらい人たちがばかだから政治や教育をまちがえてそうなったのではなく、えらい人たちはずるかしこくてみんなをお金で支配するために、育てるべき本当の気持ちを抑えるように戦後ずっと進めてきたと思っています。
知ると心が豊かになる生き物の暮らしかたとか花の色や種類でなく、生き物の分類基準や顕微鏡の部品が本質であるかのように教えるのは普通に考えておかしいと思いませんか。
どの党のどんな政治家がいま何を主張しているかでなく、実態とかけ離れたマニアックな人権の分類が本質であるかのように教えるのは普通に考えておかしいと思いませんか。
塾の講師がそんなことを言うのは変に思うかもしれません。
授業をちゃんとしたいと、いろんなちょっとしたことを調べます。
調べれば調べるほどあべこべで、本質とかけ離れた話ばかり進んでいると思って、思いあふれて書いています。
身近のちょっとした利益の取り合いや、小さな嘘や騙しあいの争いに乗ると、いまだけ自分だけ助かるかもしれませんが全体としてはどんどん支配が進んでしまうと思います。
現実的には大人はもちろん子どもであっても、身を守るためにそういうことをせざるを得ない時も少なくないのかもしれません。
それでも嘘をつかないで、自分だけのためでなく、身近な人や困っている人のために力を尽くすのが足りれば、今は困っている人もみんな平穏で豊かに楽しく暮らす時が来るかもしれないと思っています。
そうはいっても顕微鏡の部品や人権の分類を少しでも楽に素早く覚えられるようにするのは、塾の先生の大事な役目です。
そういうのを本気でやるのが私の役目です。
お勉強して下さる生徒さんに全力を注ぎます。
2024年04月26日 00:41